けもケット13に行ってきた話

 ようやっと明るめの話題があったので書いていくぜ~。

 5月6日(土)、けもケット13に参加してきました。けもケット自体はこれで3回目の参加になるけど、前回前々回と参加したけもケットはコロナ禍ということで時間制入場での開催となっていたため、会場内の人が思ったより少なく、ちょっと拍子抜けしたのが正直な印象だった。が、今回コロナ明けの制限のない開催ということで、事前のカタログ販売が速攻売切れたり、いろんな方がサークル参加表明をしてたりなど、かなり大規模になるんだろうなぁとわくわくしてしてたわけですよ。失礼、ワクチンは3回打ってるんで「わくわくわく」ですかね。

 そんで先日参加してきたんだけど、これまでの2回はいったいほんとにイベントだったのかと言わんばかりの人数と熱気があって、ようやくイベントに参加したぜ!!って感じで本当に良いイベントでした。詳しくは下記に陳述する。

 

その①:イベントの規模

 今回のけもケは10時から待機開始、12時開場というスケジュールだったんだけど、浜松町でのモノレールへの乗り換えからおそらくケモナーであろう方々がかなりの人数おり、いざ10時ジャストくらいに流通センター駅に着くともう見渡す限り人しかいねえんだわ。前後左右から聞こえるおそらくお友達と来たのであろうイベント参加者の楽し気な会話に囲まれながら独りで会場に向かうのはすごく趣がありましたね、ええ。

 そんで12時開場、すでに会場内は人でごった返しており人気サークルには長蛇の列ができているなど移動するだけでも一苦労な状況だった。前回前々回はある程度ゆったりと歩くことができたからスマホを確認しながら「次どこ行こうかなぁ」なんて考えることができたけど、今回はスマホを見る余裕なんて到底なく、せっかく念入りに作ったサークルチェック.xlsxの出番は現れず「そんな…、オレのデータが…ッ」なんてぶつくさ呟きながら会場内を徘徊していた。

 そんで今回はかなりお買い物するであろうことから大きめのリュックを背負ってきたわけだけど、移動するたびにいろんな人とリュックがぶつかってしまい、人生で一番「すみませ~ん」って言ったといっても過言でない。

 そんなこんなで1時間半程度でだいたいのお買い物が済み、10か所ほど購入が叶わなかったサークルさんはあれど、大満足な結果となりました。

 

その②:初めてのオフ会?

 齢26歳になり、中学生ぐらいから夢見ていたオフ会とやらが偶然実現することになり、積年の夢がようやく叶ったという訳ですよ。インターネットってすごいね。

 もともとインターネットで誰かと繋がるのに謎の抵抗というか禁忌の領域みたいに感じているところがあって、当時自分が中学校だったころに「斎藤さん」っていうランダムに誰かと通話がつながるアプリが流行っていた?んだけど、そのアプリで友達と「どっちが先に連絡先を聞き出せるか」ゲーム的なのをしてた時も、通話がつながった瞬間すぐに切ってしまったりと、結局ゲームに大敗したのが懐かしい。ちなみに友達が連絡先を聞き出せた相手の名前は「さおりちゃん」でした。

 それくらい当時はインターネットで誰かと繋がるということに耐性がなくて、何かあるたびに心臓がバクバクしてたような気がする。今ではピクリともしないんだけどね。今度心臓が止まってないか診察にでも行ってこようかしら。そんでそれからも、オンラインゲームだったりでネット上の人と交流するきっかけはあったけど、まあ結果は言わずもがなろくなコミュニケーションは取れなかったわけで、オフ会とかいうレベルの高い行為には憧れを抱いていたんですね。あとネットに強い友達にオフ会自慢をされていたのも拍車をかけていたのかも。

 要するに、素性の知らない相手とのコミュニケーションが極端に苦手だったんだろうなぁと思う。当時は学校内での顔の見知った中での交友関係しかないもんだから、顔も知らないような人と交流することに抵抗があるのはだいぶ仕方がないことのような気がするけど、クラスに何人かいるインターネット交流得意ニキはいったいどうやって生まれるんだろうね。

 話を戻すと、今回のけもケットではどういう流れかインターネッツで交流のあった方々と「集まろうぜ」という話になり、「オフ会」的なものが実現したのである。まったく心構えしてなかったもんだからかなりびっくりしたけど、会場内での同人誌を巡る過激な戦いで疲弊していたから緊張する余裕なんかなく、ぬるぬる事は進み気が付けば合流。

 内心クソほどおどおどしていたけどオフ会の経験者たちは逞しく、超自然体だったので流石だなぁとしみじみ思いながらいろいろお話しをしたり、会場を周ったり、ご飯を食べに行ったりと「あ、オフ会だ~!」なんて思いながら楽しい時間を堪能しましたよ。前半余裕がなくて何を話したかはあんまり覚えてないんだけどね。

 事細かく思ったことを書くのはむずがゆくなりそうだから割愛すると、総論:初めてのオフ会はすごく楽しかった という訳です。正直緊張はしたものの、自分の唯一といっても過言ではない長所である「人間関係でハズレを引かない」スキルのおかげもあって不安的なものはなく、実際良い人ばかりでほんとに良い体験になりました。感謝感激です。

 

その③:着ぐるみ交流コーナー

 着ぐるみのキャラクターさんたちついてはTwitterなどでちらほら見かけたり聞いたりする程度で、決して詳しく知っているわけではないけど、今回はそんなキャラクターさんたちを初めて生で見ることができた。ほんとは遠目で見て「かわいいなあ~、かっこいいなあ~」的な楽しみ方をしようと思っていたんだけど、知人に背中を押されて無事密な交流をすることになりました。7~8名のキャラクターの方々と交流することができたけども「でけえ!」「かっこいい!」「かわいい!」「モフモフが気持ちいい!」って感じだった。その上みんな身振りやしぐさに個性があふれている一方、みんな共通してすごい優しかったしサービス精神が旺盛でまぶしかったですね。性根のひねくれた自分がこんな光属性の交流をすると思わなかったので、楽しさ半分気まずさ半分といった心持で、あんまり丁寧にコミュニケーションがとれなくてなんだか申し訳ない気持ちにもなったね。

 ただ総論新鮮なことばっかりですごく楽しかったので、背中を押してもらえてほんとにありがたい限りでした。もっと気持ちと気持ちでぶつかるような素直なやり取りができるようになればリベンジしたいなぁと思う。そのためにも今回交流したキャラクターさんたちも含め、もっと深く知っておくためにも、秘蔵の非公開リスト「着ぐるみさんたち」にぶち込んでいくぜぃ!!

 

まとめ

 いろいろと書いたけど、これまでのけもケットが準備運動だったかのように、今回は鮮烈な体験ができたなぁと思う。なかなかバイタリティがないというか出不精な性分なせいもあってチャレンジ精神に乏しい部分があるけど、もう少しだけ勇気を出しつついろんなことにチャレンジしていきたいなぁと改めて思いましたね。

 

懺悔

 結局ネガティブな話で終わるんかい!、という出オチ感が否めないけど、最後に一つ自分への戒めとして懺悔しておきたいことがあったので書きます。

 懺悔というのも、着ぐるみさんとの交流についてなんだけど、これまでキャラクターグリーティング的なものには自分には一切縁がないものと思いつつも、知人や「この人ちょっと気になるな」と目をつけている人達もこういったイベントをすごく楽しんでいたりと、いろんな人を惹きつけて感情を大きく動かせるようなすごく魅力的な文化だと思っており、参加した人たちの体験談やクソデカ感情やらを栄養源の一つとするくらいにはリサーチをしていたわけです。

 そんなキャラクターグリーティング文化を100%素晴らしいものだ!!と認識したうえで、今回いろんなキャラクターさんたちと交流をさせていただいたんだけど、ドキドキしたりだとか、一目惚れしたりだとか、緊張して声が上ずってしまったりだとか、そういった状態にはならず、せっかく魅力を伝えるためのイベントに来たのに、中途半端な気持ちで来てしまったせいでその魅力を体験することはできず、交流したキャラクターさんたちや背中を押してもらった知人にすげぇ申し訳ないなぁと思いました。

 ただ、自分は即座に感情が上振れたり下振れたりしないけど、積み重ねて大きくすることはできるタイプだとは思うので、心身ともに万全の準備をしたうえでリベンジを果たしたいと思う。つまり何が言いたいかっていうと、伸びしろがあるということとクソデカ感情を手に入れるためには努力が必要ということ。

 なんとなく良い話っぽく持ってこれたので今回はここまで。

 

人からのおすすめが苦手というお話

 人と話をするときとか仲を深めるときには、共通の話題ってのはすごい大事だなぁと思う今日この頃。もちろん「距離をつめるのに必須だ!!」なんてことはないけど、最近よく「共感力が大事!」なんて就活とか婚活の場で口うるさく言われている通り、共通の話題はあればあるだけ良いとは思う。この共通の話題を作る方法の一つとして、「相手からおすすめしてもらう」っていうやり方があって、好奇心旺盛なお肌ぴちぴちの若いころは、相手の好きなものがどんなものなのかは当然気になるもんで、よく人からおすすめを聞いていたりした。

 んで、タイトルの通り、結果としておすすめされることが苦手になってしまったというわけで、何でそうなったのかをちょっと整理しようというのが今回のお話です。

 

 世間一般的にもおすすめされるのが苦手だーなんて人はぼちぼちいるらしく、その理由はいろいろあるらしいが、とにかく話の引き出しの少ない自分にはこれはすげーでけーデメリットだなと最近かなり思う。

 何で苦手になったのかを考えると、4つほど思い当たる理由があって、どっちも根本のひねくれた性格とか価値観に起因していて、どうすれば良いかなぁ とか別に悩んではいないけどできるなら治したいと思う。

 

理由その①:良いと思うものは自分で見つけたい!精神

 自分は昔からゲームの攻略方法とか最適解とかを自力で考えながら地道に進めていくのが好きで、逆に攻略本とかを見て「もうクリアしたぜ!!」なんて言ってくる友達を、「でもお前が得た経験値は0やぞ」なんて心の底から見下していた気がする。そんな感じで人生においてもゲームでよくあるトロフィーだったり実績回収みたいなものを自分の手で一からやってみて、どこまで回収できるかが人生の醍醐味だろうが!っていう価値観を今でも持ってしまっている。

 もちろんこんな考えは生きていく上で死ぬほど非効率だし、そもそもゲームとは違って人生に二週目はないわけだから、自分にとって良いものを効率的に経験したり集めたりすることは至極まっとうな考えなので、自分の価値観を他人に押し付けようとは思わないんだけど、この非効率で合理的じゃないことを大事にしたいとおもう価値観が強すぎるのである!

 こんな価値観があるから、自分で発見したときはたとえ100の価値があるものだとしても、他人に勧められて知ったときは人生の攻略サイトを見てしまったかのような感覚になって10くらいの価値になってしまう。表面上では「知らないことを教えてくれる!ありがたいぜ!」とは思うんだけど、心の底では「自分で見つけたらもっと感動したんだろうなぁ。90の感動を無駄にしたなぁ」という感じにね。悲しいね。

 

理由その②:「ふ~ん、○○はこういうのが好きなのね」目線

 「え、俺の趣味?人間観察、かな...w」とは言わないけど、人の価値観とか考えを知るのがかなり好きなので、どうしてもおすすめされたものを体験したり見てみたりするときは、「ふーん、あいつはこういうのが良いと思うんだ~」みたいな感じで「おすすめされたもの」と「おすすめしてきた人」の関係性を第三者目線で見てしまって、素直に向き合うことができない。もちろん2回目以降は自分の目線で体験することはできるんだけど、初回ならではの衝撃を感じることはできないわけで、おすすめされたものの魅力の100%を二度と経験できないわけです。メン・イン・ブラックの映画であったような記憶をなくせる便利な秘密道具とかあったら乱用してたんだろうなぁ。

 ただ、この「ふーん、○○はこういうのが好きなのね」目線は、まったく興味のない人とか自分に関係のない人には発動しないので、匿名の人のおすすめが見れるインターネッツには非常に助けられております。インターネットのない時代に生まれていたら、きっとかなりの偏屈人間になっていたんだろうなぁ。

 

理由その③:「共通点が減るくらいならあいまいにしていたい」精神

 上で書いた2つの理由から、人からおすすめされたものに対してプラスの感情を持つことがあまりにも無さすぎるので、「俺は別に良いとは思わなかったけどあいつはそれが良いと思っている」ってなるくらいなら「俺はよく知らんがあいつが良いと思っているものがある。いつかそれを体験して自分も良いと思えたらいいなぁ」のほうが良くね?というのが3つ目の理由である。

 もちろん「俺は別に良いと思わなかったけど、あいつは良いと思っている。だからあいつとは価値観が合わない。俺と価値観が合わん人間は背中刺されて4んだらええねん」とか思う訳じゃなく、「何で良いと思ったのか」を知るためにいろいろと質問をぶつけてみたいと思うんだけど、気を抜くと大変失礼極まりない発言をしてしまうため、これから仲を深めていきたいという段階の知人・友人にはなかなか切り出しづらいんですね。

 ただこれは知人・友人くらいの関係性ならではのもので、親友と言えるような奴には自分のクソな部分も含めて関係が続いているので、対立する意見であろうが気兼ねなく言うことができるんだけど、良い奴面を身に着けた大人になった後にできた知人・友人にはなかなか自分の素を出す切り口を見つけるのが難しく、素直?だった子どものころに戻りたいというピーターパン精神が大きくなるばかり。大人になると本音を言うことが難しくなるからきっと酒の席が重宝されているんだろうね。

 余談だけど、自分には釣り(食べる魚を釣るのではなく、釣ることを楽しむスポーツフィッシング)が大層好きな親友がいる。自分は食料を確保するための釣りはすごい好きなんだけど、「魚との駆け引きや大物のヒット」を楽しむスポーツフィッシングの良さは全く分からず、「魚はお前とは駆け引きしたいと思ってへんけどな」とか「俺が海に潜って大物のふりして針引っ張ろか?」とかちょくちょく扱き下ろすようなことを言うけど、それでも今でも関係が続いているのは非常にありがたいよね。懐の広さに感謝。

 

まとめ

 ここまで言ってきた通り、人からおすすめされるのが苦手なので、自分と同じような人がいるかと思い自分も人におすすめすることが苦手なのである。なのでどうしても人に勧めたいときは「○○が良いってどっかで聞いたことあるなぁ(すっとぼけ)」みたいにあたかも自分も知りませんよ~って言い方をしています。客観的に見るとかなりきもいね。

 これだけおすすめされるのが苦手とか言っておきながら、つい癖で「なんかおすすめないっすか?」とか聞いちゃうからやっぱ大した悩みじゃないね。いったい何が言いたかったんだか。今日はここまで。

働く人はすげーってばよ

 「働きたくねぇ〜」なんてクソでか感情を抱えながら働き始めてはや1年半。仕事とはなんぞや〜なんて偉そうなことは言えないまでも、なんとなく仕事に慣れてきたような気はする。ただ、仕事に慣れれば「働きたくねぇ〜」なんて気持ちも少しは無くなるかなと思いきや、むしろ大きくなるばかりで、最近やや頭を抱えているわけです。

 

 「いつからこんな社会不適合者精神が育ったんだろうなぁ〜」なんて思い返して見ると、小学生くらいから片鱗はあったのでは?という気がしなくもない。

 というのも、小学生の頃に皆が通る道であろう「将来の夢」の作文では、「ケーキ屋さんになって自分でケーキを作って食べたい」的なことを書いており、数年前見返した時は「当時の俺かわいいな〜」なんて思ったが、よくよく考えてみると「オレは人の為なんかには働かねえ!」って気持ちがこの頃からあったのかもしれん。

 そんで中学校・高校へ進学する頃には将来の夢なんて当然のように消え去り、「サラリーマンの通勤姿を連想させる」なんて理由で電車通学の学校には行かず、家から自転車で10分くらいの場所にある、受験票に名前を書く能力があれば受かるような高校に通うなど、ひじょーに順調に社不精神が育まれてたなぁと思う。

 そんな高校では、「働きたくねぇよなぁ」なんて話をすると、周りには「Yes」と答える人種しかいなかったので「そんなもんよなぁ」なんて安心しきった状態で「4年間働かなくて良い券」こと大学に進学したのであった。

 しかし、この大学でとんでもない事実に気づくのである。人類の9割以上は知らないと思うから説明しておくと、大学とは「働くことから逃げる場所」ではなく「働くために勉強する場所」だったのである。

 そんなことは露知らず「大学は働かなくて良いし遊びまくれるし最高だぞぉ〜」なんて教師に唆されて入った大学には、働くことに前向きで、まじめに勉強に取り組む新人類が数多くいるわけで、カルチャーショックを受けながら過ごしたのは記憶に新しい。

 ただ、そんな大学にも自分と同じような勘違いを起こして大学にきた同志も一定数いるわけで、あいも変わらず「働きたくねぇよなぁ」なんて話してたわけです。

 そんなこんなしている間に気がつけば就活シーズンになり、とうとう腹を括る必要があるかと思いきや、「さらに2年間働かなくて良い券」こと大学院という選択肢を思い出し、迷わず選んだわけですが、そこは「少数の選りすぐりの社不」と「大多数の優等生」が入り混じる異空間で、その中で2年間なんやかんやあった後、晴れて「選りすぐりの社不」として社会人デビューを果たしたのである。

 

 話を冒頭に戻すと、「働きたくねぇ〜」なんて思いながら1年半も働くと、流石にその理由も分かってくるもんで、簡潔にいうと、興味がない領域で評価されたり何か成し遂げたりすることに全く喜びを感じないのである。そのおかげで、仕事のスキルアップや人間関係構築なんてものには微塵も興味が湧くはずもなく、さらに言うならお金も最低限あれば良いタイプなので、最後の砦であるお賃金ですら仕事のモチベーションには繋がらないのである。

 働く前は、「人と腹を割って色々と話すのが好きだから、社会に出ても人間関係楽しくやれるかなあ〜」なんて思ってたが、蓋を開けてみれば仕事で良好な関係を築いた方が良い相手は、基本的には仕事大好き人間ばかりで、そういう奴らはどれだけ酒を飲ませようと腹を割った先にあるのは最終的に仕事に着地するようなクソつまらん話ばかり。仕事が好きなやつからすれば非常にありがたい話かもしれないが、仕事に興味のない自分にとっては馬の耳に念仏である。さらには念仏を聞かされた挙句、ゲーム一本買える金額が飛んでいくもんだから、料理の取り分けもお酌もせず、しまいにはゲームを理由に二次会を断ることで溜飲を下げさせていただいております。

 仕事はちゃんとしてるからこれくらいは多めに見てほしいもんだね。

 

 そろそろタイトルの話をしないと仕事の愚痴で埋め尽くされそうだから話を切り替えると、「働くひとはすげーってばよ」って思ったのは、さっき自分が言ったような仕事への不満なんて、一部の希少種を除けば大小はあれど誰でも持っているものなのに、ほとんどの人は仕事の中に価値を見つけようと努力したり、あるいは「仕事とはそういうもんだ」と割り切って働いたり、その懐の広さに尊敬せざるを得ないなぁと思う。

 ただ、そうやって譲歩して働いている人をすげー尊敬してる反面、周りから多少嫌われようがこのまま最低限の仕事をこなしつつ「理想の社会人像」を断固拒否するムーブを続けていきたいなぁとも思う。

 多様性多様性なんて言ってる時代だし、「やることはやるクズ」として生きても許されるよね!!

 

 最後に余談。高校の頃「働きたくねぇなぁ」なんて話してた友達らは、無事パチプロやバンドマン、ホストにランクアップしております。

 何を食べてどういう子供時代を過ごせば立派な社会人になれるんでしょうね…。お手本の人生とやらを見てみたいもんです。

 

 あと、ナルトは見たことないです。気が向いたら見てみるってばよ。

 

 全然話がまとまらんかったが、出張帰りの時間を有意義に使えた気がしなくもない。

 今回はここまで。

創作はすごいし、それを味わい尽くす人もまたすごい

 最近世の中不幸なニュースが多くて、けどそれを見ても大きく悲しんだりはしないんだけど、なんとな~くほんの少しずつ心が荒んでいっているというか、心の弾力みたいなものが無くなっているのを感じていて、イラストであれ小説であれゲームであれ何であれ、素晴らしい作品に出会って心が潤うのを強く実感するようになった気がする。

 

 ただ作品で心が大きく動かされることが増えたのはここ1,2年の話で、ちょうどそれくらい前に初めて自分でイラストを描くってことにチャレンジしたのがきっかけなんだろうなと思う。

 たかが数回しか絵を描いたことがあるだけの自分なんかが「絵を描いたことあります!」とか言うと、ちゃんと創作をしている人から張り倒されそうだけど、一度自分で創作ってのを体験してから、人が作ったものを見る解像度が上がってきている気がする。まあ視力は右肩下がりなんですけどね。

 

 視力の話もいろいろと喫緊の課題ではあるんだけど、いったん置いといて、なにか作品を見るときに、「どういう経緯でこの絵描いたんだろ」とか「このストーリーは次こんな展開になるんだろうか」とか、いろいろ調べたり考えを巡らせたり、じっくり味わうようになった。で、たまに新しいことを発見して、お札の中に小っさい文字で「二ホン」って書いてるのを初めて見つけたときみたいな感動があるわけです。

 ポケモンっていうゲームを、昔は御三家のレベルを上げて最速でチャンピオンを倒してあとは友達とバトルするだけの楽しみ方だったのが、いろんなポケモンを育ててみたり、NPC全員に話しかけたりするようになったのも、たぶん作品に対する解像度が上がったおかげなのかなと思う。

 この変化をうれしいと思う一方、「これまでの俺ってめちゃくちゃ良いものを見逃してきたんじゃないか...!?」と後悔することが増えて、昔読んでた漫画や本を見返したりゲームをやり直したりなど最近はしている。あとは、周りの知人がバイクだったり釣りだったり音楽だったりすごいエネルギーを注いでる趣味を持っていても、それらの趣味の良さをいまいち理解できなくて、今の自分じゃ見えていない魅力が確かにあって、いつかその魅力がわかったらなぁと思うことが増えた。人生何回あっても時間足りんねぇ。

 

 話を振り出しに戻すけど、こういう心が動くってことがなくなった時がたぶん人間として終わりなんだろうなぁとふと思い、改めて創作してくれてる人はありがたいなぁと感謝の気持ちが沸き出でてきたわけです。

 あわよくばいつか自分も人の心を動かせるような何かが作れればなぁと思うけど、それができなくても、自分が「良いな」と思った作品に対しては気兼ねなく対価を支払える人間でありたいなと思う。もちろんお金だけじゃなくて気持ちも大事なんだけどね。

 ただ、作品に対して感想を言うっていうことの難しさも最近ひしひしと感じていて、ひねくれた性格してるもんだから素直にほめたりするのは気恥ずかしくてなかなかできていないんだけど、ネットの海の中でくらいはとりつくろわずに素直でいたいもんですね。それが簡単にできりゃ苦労はしないんだけども。

 

 なんか前回より文章下手になった気がする。まあいいや。今回はここまで。

人生山あり谷ありとは言うものの

 20代半ばに差し掛かり、これまで出会ってきた人やネット上などで見かける人たちは、何か大きな不幸に陥っていたり、あるいは幸せをつかみ取っていたりと、なにかしら人生に波がしっかりある人が多いなぁとよく思う。

 一方自分は過去をどれだけ振り返っても大きな不幸もなければ幸せもない、味気ない平坦な人生だなぁ、と漠然とした劣等感に苛まれることが増えてきた。そんで「不幸でも幸せなことでもどっちでもいいからとりあえず人生に波が欲しい」なんて浅はかなことを思ってしまうんだけど、口に出すと多分

「お前にはこの辛さはわからない。」

だったり

「幸せのためにどれだけ努力をしてきたかわかっているのか。」

 なんて言われるのが関の山なので、仕方なしにブログとしてつづってみたという訳なんですわ。

 

 ただ、この悩みの根本的な原因はなんとなくわかっていて、思春期真っ盛りだった当初中学生の時の自分がいわゆるケモナーであったり男の人が好きであったりと、周りとは大きく異なっていることに思い悩み、

「普通に生きたい」「平坦な人生を送りたい」

 なんて思いながら自分の本性を隠し、目立たないようにと過ごしてきたからなんだろうなぁと思う。

 幸いこんな自分でも運よく周りの人間には恵まれ、楽しい学生生活を過ごすことはできた一方、「普通の人」を装うことが変にうまくなってしまって、友達にふいに

「もし友達がホモだったらどう思う?」

と聞かれても、顔色を変えずへらへらと「そもそもホモの人っているの?ってくらいいないからよく分からんわ~」なんて嘘をつけるくらい面の皮が厚くなってしまった。

 ただこの面の皮の厚さは社会人になるとちょっと役に立つことはあるから一概に悪いとは思わないけどね。

 

 話を戻すと、僕は「普通」を装うために、ボロを出さないよう、失敗しないようと、あらゆるリスクに対して敏感になり、良くも悪くも器用だったからかどんな時でも失敗でも成功でもない択をとる癖がついてしまい、平坦な道をたどってしまったという訳です。

 おかげで一番といっていい親友にも心の5%くらいを覆うウォールマリアへの侵入は許していないです。なんでもあけすけに言ってくれる分申し訳ない気持ちがいっぱいだ・・・。

 そんでこんな平坦な人生を何年か送っている間に自分が出会った魅力的な人たちはそれなりに山あり谷ありな人生を送っていることを知り、冒頭に書いたような思いがどんどん強くなって来たわけです。

 

 最近はようやくこの平坦な人生にちょっとでも凹凸を作ろうと、大の苦手なSNSを始めてみたり、お絵描きにチャレンジしたり、ネットの人と通話しながらゲームしてみたりなど、はたから見ると些細なことかもしれないけど、いろんな人と関わる芽になればと新しいことに挑戦したりしなかったり。

 いかんせんネガティブ思考なものだから新しい人に関わるたびに一人反省会をかましているわけなんだけど、まあ失敗しても死ぬわけでもないからもうちょい頑張っていきたいなと思う。

 ただ本音を言うと、他人の人生のビッグウェーブにあやかってしまうもの手なんじゃないかとも思っており、幸せそうなところに顔を出してちょっとエネルギーをもらったり、大変そうな人にちょっと手を貸してみたりなど、迷惑じゃなきゃいいなぁなんて思いながらやっているわけです。

 

 話がまとまらなかったけど、要するに書きたかったことは20年以上も平凡が続くと飽きるから老後に残しておいたほうがいいってことと、不幸を羨望の対象にするバカもいるってこと。

 あれ、中学の時に思い悩んでいたんだったら、人生に波があったのでは...?と書いていて思ったけど、寝たらなんでも忘れる質だからよくよく考えたらやっぱりあんまり悩んでいなかった気もしてくる。

 まあいいや、今回はここまで。